せもっちの空手と筋トレブログ

主に空手についての考え方、練習、鍛錬などといったことや、筋トレについてなど書いていこうと思いますm(_ _)m押忍!

空手について【全日本空手道連盟(寸止め形式)】【フルコタクト空手(直接打撃性)】考えてみる② 


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せもっちです、よろしくお願いしますm(__)m

今回は空手の話の第2回になります、第1回は私の経緯のような形になりましたが、

第2回はさらに現在の私に近づいてくることになります。

やはり、フルコンタクト空手の大会に出る、とゆうことになりますと、寸止めの経験が多い自分には、やはりどうしてもかなりの恐怖が襲ってきました。

YOUTUBEなどで顔面を蹴られて圧倒的な戦力差を見せられ、KOされたまま動かないような、そんな動画もよくありますが、あの大の字でKOされてるのが大会に出た時の自分ではないか・・・とゆう気にもなってきます。

そのように、フルコンタクト空手の選手は、本当に骨を折られたり、顔面をガッチリと蹴とばらされて意識を失ったり、そんなことを覚悟して、死ぬような気持ちで舞台へと上がってくるわけです。フルコンタクト空手の試合に出る、とゆうのは、実際にやるのが自分自身であり、もう逃げられない。殴り合い、蹴りあいをボコボコになるまでやるんだ・・・とゆう絶望に打ち勝てなくてはならないのです。

今回だけでも、なんとか見送らせてくれないだろうか・・・そんな気持ちになるほどの恐怖です。僕は全空連ではすでに3段になりますが、フルコンタクト空手の大会に参加するのは初めてのことになります。

では、全空連の大会は、そんな恐怖はないのか?とゆうと実はそうでもないのです。

自分よりも圧倒的に上手く早い選手に当たった時は、まず負けを実感します、どうしても勝てない、相手のほうが確実に早い、何もできない、そんな絶望があります。

あと、国体などでは、メンホーとゆう面をつけますので、顔面のダメージはまだ緩いですが、学生の部は軽いタッチでも反則になったりもしますが、一般の部は、思いっきり顔面を打たれても、よほどのことがない限りは、相手のポイントです。つまり、かなり痛い思いをします。国体以外の選手権大会では、メンホーをつけません、つまり、直接どんどん顔をものすごいスピードで叩かれます。反則にはなりません。全空連はスピードがすべてと言っても過言ではないでしょう。なので、選手はそんなにガチガチに力んだパンチや蹴りはしてきませんが、とにかく速いのです。そして、全空連の選手は基本や型をしっかりやりこんでいますので、速いだけではなく、重いのです。

そうゆう恐怖が全空連にはあります。

しかし、顔面をフルコンタクト空手のように、打ち抜くことはありません。

それは反則になります。

なので、ある程度、安全は確保されていることになります。

【試合に出場】とゆうことの恐怖度、でいえば、どうしてもフルコン空手ではないでしょうか。と私個人は思います。

                                 ②続く

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空手について【全日本空手道連盟(寸止め形式)】【フルコタクト空手(直接打撃性)】考えてみる①


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私は、小学生時代などはのんきに暮らしておりましたので、格闘技などにはあまり

興味がそもそもありませんでした。

そんなおりに、いつも学校の後に遊びに行っておりました、牛乳を作る牧場をやっている家族の友人がおりまして、そこにはいつも何人もの友人が集まって騒いだりなど、よくしておりました。

そこのk君の部屋に雑に置かれていた激しいタイトルと激しい絵の漫画が、気になりました。それは【空手バカ一代】でした。

当時僕は小学四年生くらいでしょうか。ちょうど、野球部にも入っていたのですが、あまり熱がなく、友達の家に出かけたり、ゲームをやったりすることのほうが多いような少年でした。

そこで、見つけた空手バカ一代をじっくりといつの間にか読んでいると、「なんとすごいのだろう!」「人間にこんなことができるのか!」と大変に感動いたしました。

主人公の空手家、[大山倍達]が100人を相手に組手をしたり、外人の巨大な体のものを簡単にやっつけたり、山籠もりの修行をしたりと、これをみて、必ずいつか空手をやりたい!と考えておりました。

中学から高校に挙がる再に、地元の高校に空手部があることを知り、とうとう空手をやれる日がきた!と勉学を頑張り、なんとか地元の高校に合格した私は、すぐに空手部に入部いたしました。

そこで行われていた空手は、なんと、大山倍達極真空手ではなく、寸止め空手だったのです。しかし、練習のハードなことときたら、大変でした。廊下練とゆうものがありまして、それがもう尋常なきつさではなく、友人なども何人か誘いましたが、みな廊下錬でやめてしまいました。

寸止め空手と言ってもぜんぜん楽じゃないな、と思いました。

1年生は、2年や3年の言うことに完全服従で、かなりの上下の差はあったのではないかと思います。

1年の頃、練習の小さい中休みの[小休止]の時間に、私がつい後ろに2段蹴りなどをやったりしていると、隣で姿勢を正しているs君が私の方を青い顔をしてみていました。

次の瞬間3年のHさんが私に背後から飛び蹴りをかまし、私は壁まで吹き飛び、さらにHさんの右手による往復ビンタをくらいました。

私としては、習ったことを復習したり、ウォームアップのような気持ちでやっていたのですが、Hさんにはふざけてるいようにでも、見えたのか激しく怒っておりました。

そんなこんなで、2年になり、3年になり、あまり大した成績も残せないまま、寸止め空手の3年間が終わり、高校を卒業したら、極真空手をやりたいな、といつも考えておりました。

 

高校を卒業してからは、しばらくかなりの重さでのベンチプレスやスクワットのようなものを自宅や体育館のようなところで、5年以上はやったでしょうか、ひたすら[K-1]選手のような巨大な体になってから、都市部に出て極真空手をやるぞ。とゆうように考えておりました。

K-1が流行った影響で、地元のボクシングチームの方々にも1年ほどでしょうか。アマチュアボクシングを指導していただきました。その後、都市部へ進出し、最初は極真空手ではなく、極真空手に挑戦するような団体に入りました。なんとなく、そのほうがかっこよいように感じたからです。尊敬するK-1選手なども何人も出しているところだったからです。

私は当時身長が178㎝ほど、体重が94キロくらいでした、パワー的には、ベンチプレスが115キロまで挙げられるくらいでした。スクワットは130くらいでしょうか。

 

実際にフルコンタクト空手の世界に入りますと、やはり組手があります。

そこではサポーターなどはつけるものの、かなりの勢いでお互いの体や顔を叩き合う世界で、今までとはだいぶ違いました。フルコン選手は顔面が弱い、とゆうようにもあのころからも、思われてはおりましたが、顔にくる蹴りは、確実に捌くし、通常の下突きで腹パンチや胸パンチを狙っても、簡単には入れさせてはくれず、なかなかのスピードを感じました。

ももをパーン!と思いっきり蹴られる衝撃は、寸止め空手にはないもので、ビックリします。自分よりも強いものが前にたって構えますと、自分よりも体は小さいのに、なにをすれば良いのかわからなくなります、どこを攻めても簡単に捌かれてしまう、そうゆう空気に支配されるのです。相手の圧力とゆうものです。

さらに自分よりも体の大きいものもやはり、おりまして、120キロほどのものに下段を蹴られた際には、体がズレ動きました。

そのように、フルコンタクト空手には、寸止め空手にはない恐怖がありました。

                                  ①続きます

 

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