空手【隠されている本当の型】①
こんにちは、こんばんは、せもっちです(。´ー`。)
みなさんは、桧垣 源之助先生の[隠されている空手]などは、お読みになられたことは、ありますでしょうか。
書中で書かれているように、現在行われている、伝統とされている空手には、本来の動作や空手の分解、といったものを[意図的]に隠している。
それは、空手のもとになる、沖縄から本土へ伝わる際に、本来の型の動作が、攻撃を受けた相手にとって、大変に危険であることなどもあり、本来の動作・分解ではない、異なった型の用法や、型そのものの動作を、かなり変更して本土へと伝えた、とゆう内容です。
隠されている空手、の本文の最初に書かれている説明では。
著者である、桧垣 源之助先生は、本土の空手の開祖である[船越義珍]先生の高弟である、[久保田紹山]先生から、直接、空手を指導され、長年にわたって勉強されたとのことですので、本土の特に[松濤館・空手協会]系列の空手にとっては、開祖にあたる方に直接、指導を受けた方といっても良いと思います。
沖縄から、空手を本土に伝達される際に、空手の本来の[型]の分解や、正しい動作などは、ほとんど隠されてしまい、ほぼ【失伝】といっても良い状態である、といっても良いようです。どうやら、【秘密協定】といったことが、本土に伝わる際に決行されたようです。
桧垣 源之助先生の【隠れされている空手】を読ませて頂いたのは、ずいぶんと以前になりますので、それから、自分自身での研究と合わせまして、いろいろな気づきもありました。
私自身、桧垣 源之助先生の、隠されている空手を、全て理解できているとは、まったく言えない状態であり、レベル的にも足りないともいえますが、自分なりにそれから十数年ほどですが、現行の全空連の空手を中心として、色々なフルコンタクト空手の道場や、ボクシング、キックボクシングなどもいろいろと勉強させていただきまして、気づいたことなどを、今回も含めて、これからもちょくちょくと、書いていこうと思っております。
まず、桧垣 源之助先生の【隠されていた空手】の本文に書かれていることや、自分の気づきも含めて、いろいろと自由に書かせていただこうと思います。
・実際の型の用法について・
まず、型では【平安二段】ですね。
平安二段の最初は、後屈立ちでの【上段上げ受け】【上段背腕受け】です。
これは、桧垣 源之助先生のご説明の通りです。
先生の型の分解の基本の一つに、
【前手は攻撃】
とゆうのがあります。
つまり、平安二段の最初は、前の手は攻撃になります。
用法としては、相手の上段への攻撃(パンチなど)に対して、後ろの手の【上段背腕受け】の手で受けます。
この時は、型の通りにする必要はまったくありません、普段の基本としての練習として、後屈立ちをとり、上段背腕受け、とゆう最も応用の利きやすい形を用いている、とゆうだけのことです。
実際には、後屈立ちではなく、前屈立ちで行います。
「ここは後屈立ちじゃないとダメなんだ!型でそうやっているから!」
とゆう考え方は、本来の型の用法に気づかないばかりか、遠のくばかりです。
後屈立ちは、自然に立っている状態から、相手の攻撃に反応し、重心を落とした瞬間の形を現しています。
そして、後屈立ちの前足が、スッと、相手の重心の真下あたりに差し込めれば、さらに良いと思います。
ただ、必ずしも後屈立ちになる必要があるかと言いますと、必要はないのでは、と考えております。
後屈立ちで受け、前屈立ちになりながら、攻撃する、では、1ではなく1・2・3の挙動となってしまい、相手がボクサーや、伝統派の空手家のように、一瞬でワンツーを出してきた場合、まったく間に合わないからです。
最初の後屈で受けるのがせいぜいで、前屈立ちになる際に、もう相手のツーの攻撃を、ガッツリと顔面に受けていると思われます。
さらに、本能的に激しい興奮状態になっている相手は、一発のパンチでは終わりません。ものすごいスピードで、その人のもっている身体能力の全てを使って、連続でパンチを打ってくるわけですので、たった最初の一発目のパンチを、後屈立ちになりながら、カッコよく受けたところで、間もなく二つ目、三つ目、四つ目、五つ目、の全力のスピードでのパンチが、あっとゆうまにドンドン来るだけです。
そして、後屈立ち、とゆう固定された立ち方になることは、いわゆる武道では禁忌とされる
【その場に居付く】
とゆう、最悪な状態になります。
全空連や、ボクシングなどを経験された方はみなさんお分かりだと思いますが、フットワークもなにもせずに、その場に居つくことは、なに一つよいことがない、とゆうことはお分かりだと思います。
特に、ただ何の考えもなしに、その場にドッシリと居つくのは、あまり良いことはないと思われます。
暴力・武力による対決、とゆうものは、お互いに
【ピストルを持って構えている状態】
とゆうようにも言えますので、ピストルを持ってただ立っていたら、どうなるのか、誰でもすぐにわかると思います。
いくら、俺はどんなに下段をくらっても耐えられるぜ、と言ってみたり、俺はいくら腹を全力で蹴られようと、なんともないぜ。
とゆう人でも、顎や鼻に全力の突きを受けたり、金的や喉、目。隠していた光物で、動脈・靭帯・神経を切られたり、ただ暴力・武力の場で、立っていることが、いかに危険であるか、すぐにわかると思います。
では、平安二段に戻りますが、前手は攻撃、とゆうことを考えますと、後ろ手は防御、とゆうことになります。
実は、【上段上げ受け】とゆう名前の受けを、何万回も、何十万回も、みなさん練習されてきたと思いますが、基本的に、この、上段上げ受けですが、まったくもって、
使えないです。
なぜ使えないのか?
みなさん、組み手で上げ受けをしたことが、ありますでしょうか。
あと、喧嘩を想定した練習をされたことが、ありますでしょうか。
できましたでしょうか。
相手のパンチを、組み手の際に【上げ受け】で避けたことが。
もちろん、基本一本組手のように「右上段いきます!」「押忍!」エイッ!
でしたら、かっこよく上げ受けなどしなくても、なにやっても、受けれますけどね、もう言っちゃえばもう、攻撃に合わせて、半歩横に移動するだけでいいんですが。
喧嘩の想定練習でさえ、相手に大降りのわざとに大きく振り回すように、ケンカパンチを放ってもらった場面でさえ、かなりゆっくりと、受けやすいようにパンチを出してもらわないと、とてもじゃないですが、上げ受けなど、使えないです。
なにしろ、自分の顔の上に向けて、相手の手を【跳ね上げる】わけです。
今まで、さまざまな格闘技の試合や、自分の経験・体験。総合格闘技を見たり、ボクシング・キックボクシングを見ましたが、上げ受けを見たことがありません。
そこで、上げ受けに非常に似た動きの受けが、型のなかにあります。
それが実は、平安二段の前手の【上段背腕受け】です。
さらにもう一つ、いや、探せば型のなかにもたくさんありますが、例を挙げますと
観空大の最初の【上段背刀受け】です。
とくに、観空大の上段背刀受け、ですが、これは実践的な受けです。
喧嘩を想定した練習をしてみるとわかりますが、相手のどんなパンチにも対応できます。
これは、武道的な直突きでも、喧嘩で使われるケンカパンチでも、格闘技的なフックに対しても、あらゆる手技による顔面への攻撃を、防ぐことができます。
組み手のなかで使われるような、パッとさばくような受け方は、喧嘩では、弱すぎて突破されてしまいやすいです。
そこで、しっかりと顔面からやや離れた位置で、ガッチリと受けないといけません。
その点、観空大などにみられるしっかりと、顔面から離れた位置で受ける受け方は、お互いに素手による顔面などの殴り合いの場面で、ものすごい強靭な受けの力を発揮します。
なにしろ、喧嘩の際には、相手がどんなパンチを出してくるのか、まったくわからないわけです。
武術的に、直突きをしてくるのか、喧嘩的なケンカパンチをしてくるのか、ボクシングのようにフックのように打ってくるのか、不明なわけです。
パッ、とさばくような受け方は、相手の攻撃がフックであった場合、相手の肘の部分にどうしてもこちらの受け手の手が当たります。
フックパンチは、こちらの真横方面からきますので、パッとさばく受け方では、受けそのものが軽いし、肘を受けても、そこから手が伸びてくるので、受け切れません。
なので、しっかりとした、肘を90度~100度程度に曲げたような、ガッチリとした受け方をする必要があります。
平安二段の最初の受けは、後ろ手を使って、このように相手の攻撃をしっかりと受けます。
ここで、型そのもののように、上段を受けようとすると、受けられません。
カッコよく上段受けなど、決まりません。
相手パンチが右なら左手で、相手パンチが左なら右手で、の上段背腕受け、もしくは観空大の上段背刀受け、で受けます。
それと同時に、反対の手の上段背腕受け、で攻撃します。
日本人は右効きの文化ですので、右で攻撃してくることが多いですので、相手の右手の攻撃を、左手で上段背腕受けをします。※確率的なお話です。
それとまったく同時に、ここで、平安二段の、さんざん、何百回・何千回、と練習してきた成果を発揮します。
受けたとまったく同時に、受け手の反対側の足を一歩だけ、前にスッと踏み出すと同時に、前の手で【上段背腕受け】をします。
この【上段背腕受け】は、相手の顎をめがけて受けます。
そうです、顎を狙って、前手の受けを出します。
つまり、攻撃です。
前手は攻撃。とゆうことです。
攻撃のほうの手は、縦拳よりも【手のひらが上を向く】裏拳の状態が良いです。
アッパーカットのような手の形になります。
全体的には、型では【壮鎮(そうちん)】のラストのほうの連続技のあとに、気合と同時に出す技がありますが、あの形が理想です。
※不動立ちによる、左手で上段をガードしつつ、右の上段裏拳の挙動です。ただ、頭の上から豪快に裏拳を出す必要はないと思われます。
まっすぐ相手の顎のほうに、自分の足が出て→それに伴って骨盤が回転して→骨盤が回るから同時に肩も回る、ついでに手を出す。骨盤・肩は意識してまわさないで、かってに足が進むから、その分あたりまえに動いてしまう。それに手をつける。
最初の体制は、お互いにニュートラルとします。
ニュートラルとは、お互いに正面を向いて、手や足などは自然体でも、並行立ちでもなく、なんとなくお互いに向き合っている状態とします。
この、お互いになんとなく向き合っている状態からの技こそが、もっとも自然な技といえます。
喧嘩の場面で、いちいち構えてられないからです。
この、喧嘩の場面でいちいち構えてられない、とゆうところなんですが、武術や格闘技をしている方々には、
「は??!別に相手がいたっていくらでも、フットワークもできるし、間合いだってこっちがいつも通りとって、こっちのやりやすいように、ど素人の相手をコントロールしてやればいいだろ??!!」
と、僕も思っていたことがありましたが、最近の考えでは、この考え方はやはり、道場やスポーツとしての格闘技の経験のみ、であるからである、と最近わかりました。
なぜ?
路上でのケンカとゆうものは、普段空手を練習し、自分を厳しくいさめるように指導を受け、こちらからケンカを売りつけたり、こちらから暴力を仕掛けたり、そうゆうことは絶対に許さない、とゆう指導を受け、こちらもそのように考えているから、その道場に通っている我々からすると、よほどのこどない限り、こちらから暴力を使うことはないわけです。
つまり、相手から、攻撃を、暴力をしかけてくるわけです。
こちらはもう数年・数十年、空手や格闘技を鍛錬しているわけですので、パッと見、弱そうには見えないことが多いと思います。
筋トレをやりこんで、ムキムキの方も多いと思います。
それでも暴力に巻き込まれます。
なぜ??
それは、相手が
一人ではないからです。
あきらかに、パッと見弱そうでもないこちらに、ケンカをふっかけて来るものは、基本的に集団です。
集団で、個人を圧倒することに慣れている者たちです。
わたしも、実は、そうゆう経験があります。
集団に対して、いくら多少強くても、個人では反抗してこないだろう。
そうゆう考えのものたちですが、なぜか、そのなかに数人は、そこそこ柔道をやっていたり、ケンカもそこそこ個人でやりこんでいたり、とゆうものがたいていは、含まれています。まあ、経験談もありますが。
では、その集団といざ暴力が始まりました。
どうでしょうか。
ゲームのように、Aが来た→Aを倒した→次はBだ→Bを倒した、ついにボスだ。
となりますでしょうか。
ならないんですね。
まず、囲まれます。
どうでしょうか。
フットワーク、いつもの得意のフットワークですが。
できますでしょうか。
前にいる相手が、こちらに攻撃をしてきそうだ、フットワークを使って後ろを下がった・・・
どうなりますかね。
後ろにも、もちろん数人いるわけです。
せいぜい、周りとの間合いはお互いに1m~2m(メートル)です。
フットワーク、できますでしょうか。
まあ、できなくはないです。
つまりまあ、後ろの人たちに向かって、
後ろ向きにゆっくり突進しているだけ
ですけれども。
つまり、フットワークはあきらめたほうが、賢明だと思われます。
そこで、いずれにせよ、こちらから攻撃を仕掛けた場合、こちらの武力がかなり上回っていれば、ガンガンいけば勝てる確率はかなりありますが。
それですと、法律的に【正当防衛】が成立しません。
つまり、一発目は間違いなく、相手から攻撃してこないといけません。
あわてなくても、間違いなく数分後には、相手の暴力は始まります。
どんなに間違っても
「仕方ねぇ・・・今回はやめといてやるよ・・・」
なんてことには、なりません。
相手の集団は、暴力で相手をめちゃめちゃにしたくて、もう、よだれが出ているのです。
集団で暴力を仕掛けてくる連中、とゆうのは、どんなことがあっても、
「仕方ねぇ・・・今回はやめといてやるよ・・・」
はありません。
どうしようと、どんなことをしようと、確実に、暴力が始まります。
まあ、集団の性的な暴力の場面を想定すれば、簡単にわかると思います。
集団による性的な暴力まあ集団レ○プですね、これ、途中で止まると思いますでしょうか。誰かが、「やっぱりやめないか・・・」と言ったとしても、もう火のついた若い連中が、止まるわけがない。
そこで、フットワークはだめ、話合いもだめ。
そして始まる、一方的な、絶対的な、絶対に逃れられない、逃げられない、集団からの暴力が始まります。※(経験談含む)
まず、相手からの最初の攻撃ですが、間違いなく防御しましょう。
そこで、変に格闘スポーツに見られるディフェンスはやめましょう。
たとえば、ジャブを交わすようなパッとした、払い。
払えません。
全体重を乗せて、打ってきます。
スウェー、まあ悪くはないですが、相手が第二・第三の攻撃につなげやすく、試合では後ろに下がれますが、集団暴力の場面では、スウェーで華麗に交わしたあとに、スッと後ろに下がれません。
後ろにいる相手から、後頭部に全力のかかと蹴りでももらうだけです。
そこで、その場での受け技がどうしても必要になってきます。
その場での、強い受け。
その場での、確実な受け。
それが
【上段背刀受け・上段背腕受け】です。
もちろん、普段から練習せず、いきなり形だけやっても、弱い受けにしかならないので、突破されます。
やはり、必要なんですね、その技をしっている。
とゆうだけではダメですね、普段から、いつも練習しているからできる。
いつも練習してきたから、出せる。
うんざりするほど、鍛錬してきたから、できる強い受け。
いつもいつも、ただ、ただ、やってきたわけじゃない。
どうしたら、強く受けれるんだろう?
どうしたら、早く受けれるんだろう?
そうしてできていく、全身の使い方。
受け手・手首・肘・肩・肩甲骨・背骨・腸骨・股関節・ヒザ・足首・足の裏。
そういった体の要素。
そうゆうものを、集団に囲まれたなかで、しっかりでなくても良いです。
前屈立ちでなくても、後屈立ちでなくても、猫足たちでなくても、良いのです。
地面と繋がっている技、地面と受け手が少しでも繋がっている、そうしたいい受けは、おそらくほぼ確実に、相手の攻撃を防いでくれます。
そして、平安二段で言うと、上段背腕受け(のような形になっていれば良し)、で受けつつ、一歩(ほんの一歩です60センチとか、スネ+拳二つぶんとか言ってられません)、前に出つつ、前に出した足と同時に、顎にただ前の手を、前足を一歩踏み出すのに合わせて、まるで歩くように、フッと出すだけです。
もちろん、スピードは必要です。
具体的には、受けたときのスピードそのまま、受ける時に同時に一歩前に出て、ついでに前に手を出すだけです。もちろん、相手の顎に出します。
空手の本来の技は、全て
【交差法】
で成り立っています。
なので、よくあるような
「こう受けてから・・・」「こう受けたら・・・」
「こう返す」
とゆうのは、本来の空手の【交差法】の概念から外れています。
交差法は、あくまで
相手の攻撃を受けると同時に、こちらの攻撃が決まっている。
のが本来の空手です。
なので「こう受けてから、こう反撃します」。
とゆうのは、間違っています。
平安二段を今回は、例としましたが、桧垣 源之助先生の本にも、同じようなことは書かれていますが、この度は、わたくし個人の考え方も多く含めました。
わたくし個人が、経験してきたことや、わたくし個人が毎日毎日、繰り返し練習してきたことで、気づいたことなど、そういったことも、含めています。
わたくしは、いつも、毎日必ず【その場基本練習】を行いますが、その場基本では、必死に汗だくになって練習する時には気づかないことを、気づきます。
必死に汗だくになって練習することは、絶対に必要ですが、気づきがなかなか訪れません。訪れるのは、体がいつのまにか理解したことです。
いつのまにかできていたこと、これは必死に必死に練習して見に付いたものなので、間違いなく本当に価値のある、素晴らしいことです。
ですが、その場基本練習を、いつか、やりこんでほしいと思います。
必ず、良い気づきがあると思います。
「なるほど、腰を全力でひねってから、その一瞬のねじりを使って突けば、突きが突き終わるまでには、腰はまたニュートラルな正面向きに戻っていて、すぐにまたニュートラルな状態から何度でも最速のスピードで突けるんだな」。
こうゆうようなことも、初心のうちは、ただひたすら型を繰り返し反復しても、理解できません。
その場練習をやりこんでいると、わかります。
たとえれば、空手協会の中達也先生の、腰の切り方ですね。
ナイハンチをやってみせて下さっている動画がありますが、全ての動作で、まず腰を瞬間的にきって、そのねじりの力を使って技を出していますが、技一つ一つが、目に見えないほどに早いですが、技が出し切る一瞬前には、もう腰は元のニュートラルの位置に戻っています。
そうゆう動作も、その場基本をやりこまないと、なかなか理解できません。
わたしは、こういった中達也先生のような、腰を切ってスピードを出すような技の出し方がすきですので、そうゆう練習方法をとっています。
・上げ受けについて・
今回、上げ受けについてのお話が多かったですが、書き忘れておりましたので書きますが、つまり、上げ受けとゆうのは【攻撃】ですね。
あんなダイナミックなことをして防御をしようとしても、むりです。
決まればカッコイイですけれども、それからどうするのか、とゆうことです。
あと、上げ受けの際には、基本移動でも、慈恩の型でも【けん制】とゆう動作が入りますが、あれはみなさん、どうお考えでしょうか?
わたくし、ある程度の答えが出ております。
最近よく見かけますのは、けん制で相手の腕をつかんで、上げ受けで肘を折る、など最近よく見ますけれども、ケンカや暴力の場で、そんなことできますかね?
相手が、肘をしめた武術的な突き方をしてきたなら、ある程度有効かもしれませんがね。
※ただ、格闘技・武術経験者は基本的に、突きのあと瞬時に引くので、突きの手をつかむのは、まさにもう【神業】です。
基本的に怒りに身を任せた人間とゆうのは、脇も肘も、締めないので、けん制で相手のパンチを奇跡的につかむことができても、上げ受けで、外向きの相手の肘を、折りに行ったとして・・・うまく逆間接になってますかね?
うまいこと、相手のつかむことができた肘は、伸びてますかね?
肘を下から突き上げることしかできないので、相手の攻撃した手の、手の平が上を向いている状態でなければ、上げ受けで逆間接を決めることは、できません。
また、そのことについても、書かせて頂こうと思っております<(_ _)>
ちょっと、どうにも今回、熱が入りすぎ、8000字を超えてしまい、飽きられてしまうと切ないですので、本来の型について、第一回とゆうことで、いったん失礼しようと思います。
では、失礼いたします。<(_ _)>押忍!
こちら、今回のブログでもご紹介させていただきました、桧垣 源之助先生の著書です。

隠されていた空手―「型は教えても手は教えるな」の謎を解明する
- 作者: 桧垣源之助
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わたくし、まだまだ理解できてませんが、本来、沖縄から伝わってきた空手とゆうものが、どうゆうものであったのかなど、非常によく勉強させていただきました。
これからも、空手の隠されている本来のものにしっかりと目を向けて、勉強させて頂こうと思っております<(_ _)>押忍